なぜボードゲーム・人狼界隈で、偏った思考の人間が現れるのか。

更新日 2020年8月27日

はじめに

こんにちは、いとはきです。

今回は、あるツイートを拝見させていただき、あるテーマを思いついたので、議論をしたいと考えています。そのツイートの内容を要約すると、「人狼を遊んだ際に熟練度の低さについて批判を受けた」というものです。この問題については、何度も記事を書かせていただいております。

[過去記事]

【ボドゲ哲学】ボドゲを「楽しむ」初心者は「上手く」なりたいのか?

気の合わない人とボドゲ を遊ぶと、ボドゲが嫌いになるかも!?

上記の記事では、「初心者に対して上手くなることを強要する熟練者」や、「気の合わない人とボドゲをしたことでとても辛い経験となった出来事」について記述しています。

一方、今回の記事は、その根本となる原因について考察しようかと思います。それは、どうしてこのように偏った思考を持つ人間が生じるのかということについてです。もちろん、「そういう人間は異常なのだから無視していい。」「最初からおかしな考え方を持っているんだ。」という意見もあるかと思います。

しかし、相手の思考の形成過程を理解しなければ、自分自身もその一人になりかねないという警鐘も兼ねて、あえてこのようなテーマを考えさせていただきました。今回の記事では、ボードゲームや人狼などの界隈で、特殊な思考に陥るメカニズムについて、個人的な見解を行なっていきたいと思います。

 

組織文化~人狼の例~

例えば、人狼ゲームを軸にこの問題を考えてみましょう。人狼ゲームが諸問題を引き起こすのは、ゲームのルールは常に同じであるにも関わらず、それを囲むプレイヤーの熟練度によってゲーム性が大きく変わってしまうことにあると考えています。

そのため、それぞれ同じような思考や楽しみ方を求めるプレイヤー同士でゲームを行わなければ、プレイヤー間で齟齬が生じることとなります。すると、同じような思考や楽しみ方を求めるプレイヤー同士で集まって、ゲームを行うようになることがあります。その集団は価値観が近似しているため、繰り返しその集団内でゲームを行うことも増えていきます。すると、ここで組織が形成されることになります。この組織内では、ある決まった特定の思考方法や独自の文化が根付いていく可能性があります。

この組織というのは、特定の人間で集まる場合のみならず、そのコンテンツ自体をプレイする人間同士の集団が大きな緩やかな組織となる場合もあります。例えば、人狼でよくある例ですが、あるアプリから違うアプリを始めた際に、基本となるような行動方式や、怪しいと思われる発言が大きく変化していることなどが挙げられます。独自の思考方法が根底にあるために、不思議な違和感を感じることもあるようです。ネット人狼から対面人狼を始めた際も同様で、人狼でいう発言方法や圧のかけ方などには場所によってはかなりの違いがあるようです。

この例で言いたいのは、組織が形成されると、独自の価値観に無意識的に染まることがあるということです。ここで怖いのは、自分たちがその組織内の文化・価値観を自覚している場合もあれば、自覚していない場合もあるということです。そのため、自分たちが特殊な行動をしていたとしても、それすらも把握していないことがあります。

独自の文化・価値観を持つこと自体が悪いわけではありません。友人同士や、企業内などでも、独自の文化が根付きます。いわゆる、内輪ノリなども独自の文化により形成されるものであり、これが悪い作用になるかといえば、むしろ組織内の交友関係を円滑化させる作用もあると言えるでしょう。ここで注意したいのは、それを意識していなければ、集団同士が関わった際や新規の参入者がいた場合に、大きな不和を引き起こす可能性があることがあるということです。次の項では、その危険性について論じていきます。



組織の価値観ーなんで「ヤバイ人間」が現れるのか?ー

新しくボードゲームや人狼に興味を持ち、特定のコミュニティに入ろうとするときは、外部の組織との接触になります。このとき注意すべきなのは、事前にその組織の正しい内情を知ることができないということです。もちろん、その組織からは事前に情報が発信されますが、それは内情と異なっていることが多々あります。

例えば、ボードゲームを例に考えてみましょう。よく見かけるのは、「初心者歓迎」という触れ込みの交流会です。このうち、本当に初心者に対して好意的な交流会もありますが、そうでない交流会も多々存在しています。「初心者歓迎」と書いてあるにも関わらず、ルール説明が非常に雑であったり、経験者からのマウンティングが存在したりすることもあります。

それでは、このように「初心者歓迎」と書いてあるにも関わらず、「初心者歓迎」ではない交流会は、なぜ存在しているのでしょうか。虚偽の広告を用いて初心者を集めたいという悪意に満ちた主催者もいるかもしれませんが、大多数は無意識的にこの行為を行なっているように思われます。前項で述べたように、その組織における価値観が根付きすぎて、「初心者歓迎」でない行動をするにも関わらず、それが「初心者歓迎」であると信じているのです。先の項でも述べたとおり、内部の人間は自分自身が一般的な枠から外れていたとしても、それに気づくことがありません。

直接的な批判や、Twitterで同様の批判を受けた場合に、そのような組織は変化するでしょうか。個人的な考えですが、反省するところもあるかもしれませんが、多くの組織はそのままの立ち位置を続けると考えています。人は自分の価値観というガラスを通じて、物事を見ます。見たいように見て、聞きたいように聞くはずです。この問題は、組織に所属しているからこそ加速します。



例えば、ある組織の個人が、そのずれた行動に対する批判を受けた場合を仮定します。その個人が自分の所属する組織に対して、自分が受けた批判を表明した場合、その組織の構成員からはその個人に対して「お前は正しい、皆が間違っている。」「俺たちの考え方が伝わらないなんて酷いやつだ。」など、ポジティブなフィードバックがなされることがあります。その個人はフィードバックを受けて、考え方を変えず、以前と同じ思考・考え方を保持するというサイクルに陥ります。どの組織もこのような傾向にあるとは言えませんが、価値観の似ている構成員同士が接する場合、このような動きも見られるかと思われます。

人狼やボードゲームは、まだ人口が少なく、かなり閉鎖的な環境下にあると思います。だからこそ、組織が形成されやすく、このような問題が生じやすくなるかと思います。

 

終わりに〜交流会に入るときは気をつけよう〜

当記事では、ボードゲームや人狼ゲームなどの交流会に参加する際に、なぜ「ズレた」人が現れるのかという問題について考えました。個人と組織の関係は非常に強く、組織における価値観や文化の形成は、強く個人にもつながります。この記事内で述べた考え方は、企業文化や宗教組織と個人の構成員の関係を主にして作成しました。考え方の一つとして受け取っていただけたら幸いです。

最後に、どのようにして、自分にとって適したコミュニティを選択することができるのかについて個人的な考え方を述べたいと思います。それは、自分と価値観の類する既に知っている人間が加入しているコミュニティにお試しで加入してみることです。自分と価値観が似ている人間が入るコミュニティは、自分にとっても居心地がいいことが多いです。

一方、そのような知人がいない場合には、まずは特定のコミュニティにお試しで参加し、その後すぐに継続して参加するかどうかを決めるという方法はあります。筆者の経験的には、基本的に与えられた環境は変わりません。「今回はつまらなかったが、次回は楽しいだろう。」という予測で参加し続けることは、必ずしも失敗するとは限りませんが、辛い思いをすることが多いかと思われます。自分のことですら変えるのは困難です。ましてや、相手のことを変えるにはそれ以上の労力が必要です。

皆様が、自分に適した交流会やイベントに参加できることを、心から望みます。Game to Lifeでも交流企画をご用意する予定ではありますので、Twitterのフォローなどをいただけると嬉しいです。

この度は記事を読んでいただきありがとうございます。SNSでシェア・ブックマーク等して頂けたら幸いです。