【歴代最強は!?】歴史に名を残す著名プロ将棋棋士8名を徹底解説!

将棋の起源は一説によると奈良時代以前にまで遡ることができます。その後、長い時を経て現在の将棋の形に近づいてきました。

 

この長い歴史の中で、さまざまな棋士が登場してきました。

歴代最強の一人に数えられる棋士から、一風変わった破天荒な棋士まで、今回は歴史に残る有名な棋士について紹介していきます。



 

升田幸三

(日本将棋連盟公式HPより )

 

升田幸三(ますだこうぞう)は昭和の将棋界を代表する棋士の一人です。
長髪に長い髭、和装姿が有名で、大酒飲みでヘビースモーカーという、まさに昭和らしいスター棋士でした。

 

1918年に生まれた升田幸三は、1932年に日本一の将棋指しを目指して家出します。
この際に家に残した「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら(勝つため)大阪に行く」という言葉はとても有名です。

 

これは香落ち(香車を使わないハンデ)で名人に勝つ、という意味です。
実際に、1956年に後述する大山名人に香落ちで勝利しています。

 

棋風としては「新手一手」を掲げており、定跡に捉われない革新的な将棋を志していました。
新たな手を指し続けたことから「将棋の寿命を300年縮めた男」と評されています。

またこの棋風から、「升田幸三賞」という新手や新戦法を編み出した棋士に送られる賞の名前になっています。

 

余談ですが、弟子にはTV番組「月曜から夜ふかし」にて株主優待で有名となった、当時プロ棋士の桐谷広人がいます。

 

大山康晴

(日本将棋連盟公式HPより )

 

大山康晴(おおやまやすはる)は、歴代の棋士の中でも最強との呼び声が高く、数々の記録を打ち立てた棋士です。

 

A級というプロ棋士界トップのクラスに44期連続で在籍しており、在籍したまま死去しました。
A級44期在籍というのは最長記録であり、当面破られることのない大記録となっています。

 

タイトル獲得数は歴代2位(80期)ですが、大山康晴が活躍していた時代にはタイトルが少なく、現在のように八大タイトルであれば1位に君臨していたと言われています。

 

相手の攻めを受け潰す棋風が有名で、劇的な逆転の多い棋士でした。

守り重視であり、大山康晴の指す四間飛車(大山流四間飛車)を崩すのに多くの棋士が苦戦して敗れています。

 

趣味としてチェスも嗜んでおり、チェスの日本チャンピオンになったこともありました。



 

加藤一二三

(日本将棋連盟公式HPより )

加藤一二三(かとうひふみ)は「ひふみん」の愛称で知られる棋士です。
昨今、TV番組などでは面白いお爺ちゃんとして愛されていますが、現役時代は神童と呼ばれた天才棋士でした。

 

当時最年少となる14歳7ヶ月でプロとなり、最年長記録の77歳5か月まで現役を貫き通しました。
「神武以来の天才」の異名で知られ、これは日本の初代天皇である神武天皇の世以来の天才という意味です。

 

戦績は1,324勝1,180敗であり、通算勝利数は歴代3位、通算敗北数は1位となっています。
通算敗北数が1位というと不名誉な記録に思われがちですが、長期間プロの棋士として活躍できなければ達成することが不可能な大記録です。

 

棒銀という戦法を好んだことでも有名で、流行りの戦法が現れても常に棒銀を採用し続けました。

 

米長邦雄

(日本将棋連盟公式HPより )

 

米長邦雄(よねながくにお)は日本将棋連盟会長も務めた棋士で、タイトル獲得数は6位となっています。

 

終盤戦に非常に強く、泥臭く粘って勝利を掴む棋風から「泥沼流」と呼ばれていました。

また「自分にとっては消化試合だが相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす」という理念を持っており、この考え方は「米長哲学」として将棋界以外にも影響を及ぼしています。

 

米長邦雄といえば破天荒な棋士の代表としても有名で、数々のエピソードも残しています。
42歳にして写真週刊誌でヌード写真を掲載する、重要な対局に負けた際に悔しさからホテルを全裸で叫びながら疾走するなど、話題に事欠かない棋士でした。

 

日本将棋連盟の会長に就任後は、タイトル戦のネット放送や、プロ棋士対コンピュータの対局を実現させるなど、将棋界を盛り上げる素晴らしい功績を残しました。



 

中原誠

(日本将棋連盟公式HPより )

 

中原誠(なかはらまこと)は昭和から平成にかけて活躍した棋士で、通算1308勝(歴代5位)、通算タイトル獲得数64期(歴代3位)という偉大な記録を打ち立てました。

 

前述した大山康晴の絶頂期を破り、1970年に初タイトルを獲得すると、一気に複数タイトルを獲得して、大山康晴と並び頂点に君臨しました。

 

対局の流れを読み、流暢に指しこなす棋風から「自然流」と呼ばれ、手堅い将棋を得意としています。

また桂馬を好み、うまく使いこなすことでも知られており、大山康晴の鉄壁の守りを破る鍵となりました。

 

2008年に脳内出血を患い、2009年に引退を発表しました。
その後は容態もある程度回復し、現在もイベントに出席したり、インタビューに答えたりするなど活動しています。

 

羽生善治

(日本将棋連盟公式HPより )

 

羽生善治(はぶよしはる)は稀代の天才として知られる棋士で、将棋棋士として初めて国民栄誉賞を受賞しています。

 

恐らく現代において最も著名な棋士の一人であり、あまり詳しくない方でも名前を聞いたことはあるのではないでしょうか?

 

通算勝利数歴代1位、通算タイトル獲得数1位と圧倒的な強さを誇り、2022年1月現在でも現役として活躍しています。

 

1989年に初タイトルを獲得すると、1996年には当時全てのタイトルを獲得し、史上初の全七冠を達成しました。
また将棋のタイトルは、一定の条件(連続○期獲得など)を果たすと「永世」という称号が与えられます。(例:永世竜王など)

羽生善治は七タイトル全てで永世称号を獲得し、前人未到である「永世七冠」を達成しました。

 

一般的に棋士にはそれぞれ得意とする戦法があります。
しかし羽生善治はさまざまな戦法を指しこなすことから、オールラウンダーとして知られています。

この棋風から、「歴代名人の長所を全て兼ね備えた男」とも呼ばれました。

 

近年は年齢もあり、成績が下がり始めていますが、現在通算タイトル獲得数が99期のため、100期目獲得が期待されています。



 

渡辺明

(日本将棋連盟公式HPより )

 

渡辺明(わたなべあきら)は永世竜王、永世棋王の称号を獲得している現役棋士です。

2022年1月現在では名人、棋王、王将の三タイトルを保持しています。

 

史上4人目となる中学生(15歳)でのプロデビューを果たすと、弱冠20歳にして序列が最も高い竜王のタイトルを獲得します。

その後も竜王のタイトル戦では特に圧倒的な活躍を見せ、9連覇という記録を成し遂げました。

 

棋風としては、居飛車穴熊を得意としており、固い陣形からやや強引な攻めでも成功させることに長けています。

また終盤戦での逆転劇も多く、「大山(康晴)の再来」と呼ばれたこともありました。

 

妻は漫画家の伊奈めぐみで、渡辺明をモチーフとした「将棋の渡辺くん」を連載しています。

 

藤井聡太

(日本将棋連盟公式HP )

 

藤井聡太(ふじいそうた)は歴代最年少(14歳2ヶ月)でプロデビューを果たした神童で、数々の最年少記録を塗り替えている天才棋士です。

 

デビュー以来、破竹の勢いで無敗が続き、歴代連勝記録1位の28連勝を果たしました。

連勝中は連日報道されており、「藤井フィーバー」が記憶に新しい方も多いかと思います。

 

実はデビュー前から将棋界では「詰将棋の神童」として有名でした。
小学6年生にして、プロ棋士も出場する詰将棋解答選手権に最年少で優勝しています。

 

詰将棋で培われた終盤力が強みですが、近年では序盤・中盤も隙がなく、AIの解析によるとプロ棋士の中でも飛び抜けた最善手一致率を誇ります。

 

2020年に最年少で初タイトルを獲得すると、2022年1月現在四冠を達成しており、羽生善治以来となる全タイトル獲得が期待されています。

 



まとめ

いかがだったでしょうか?

 

今回は歴史に名を残す有名な棋士について紹介しました。
天才揃いの棋士においても、傑出した記録を残す棋士は常人には考えられないエピソードも数多く残しています。

 

ここでは執筆しきれなかった内容も多いので、興味を持っていただいた方はぜひ調べていただけると面白いと思います。

 

本記事を読んで、将棋をより楽しく指していただければ幸いです。

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