【人狼エッセイ6月号】人狼が上手くなるにつれて楽しみ方は変わっていく。【いとはき】

はじめに~人狼を楽しんでいますか?~

こんにちは、筆者のいとはきです。皆さまは、人狼を楽しんでいますでしょうか。今回は、人狼の上達と人狼に求めるものの変化について考える記事となります。

このような論点を考えるきっかけとなったのは、人狼配信の視聴でした。人狼の配信は多くの方が行っており、多くの場合、アプリ人狼である『人狼ジャッジメント』や『人狼殺』を扱うことが多いことかと思われます。Youtubeやopenrecなどを中心として、人気配信者のもとには多くの視聴者が集まります。私自身も、人気配信者の視聴者の1人です。

このような配信の中では、配信者のみならず、配信者と同村した方に対する多くのコメントが寄せられることとなります。しかし、人気配信の中のほとんどでは、好意的なコメントが寄せられることはなく、ほとんどがミス攻めや戦犯(自陣営を負けに導いたプレイヤー)探しを行うコメントが多くみられました。もちろん、視聴者側も真剣にプレイする意思を有しているからこそ、このように過激的な批判を行うと考えることもできます。しかし、そのような光景を見ていると、この方々は『本当に人狼を楽しめているのだろうか』という考えが頭をよぎることとなります。

ただ、自らの行動を顧みてみると、私自身も人狼に求めるものが変化し、それゆえに楽しめなくなっているのではないかという疑念が湧いてきました。初心の頃に抱いていた人狼に対する思いが、現在とは明らかに異なることに気づいたためです。今回は、私の人狼に対する思いを共有し、人狼の楽しさについて考えていく記事となります。




1.”はじめてのじんろう”で感じていた楽しみ。

私が最初に人狼ゲームを始めた際の形式は、対面形式によるものでした。対面形式とはいっても、知らない方々と共に人狼をしたわけではなく、高校の仲間内で少人数で行うことが常でした。このとき、人狼ゲームとしてのレベルは、非常に低いものだったかと思います。

例えば、一般的に人狼で用いられるようなセオリーを誰も知らなかったため、その場しのぎの進行となることがありました。また、嘘のつき方も分からなかったため、明らかに矛盾した嘘をついてしまったり、あるいは嘘をつかないことで人狼陣営側が非常に不利になったりすることがありました。また、信用獲得を行うように動機づけられることはなく、各々の性格や表情の変化が議論の中心となっていました。しかし、この時に行った人狼ゲームは、非常に楽しかったと記憶しています。私が、このとき人狼に求めていた要素を振り返ります。それは、大きく、非日常感一体感の二つに分かれます。

まず、非日常感としては、そのテーマ性・ゲーム性があげられます。人狼と村人との間の戦いという緊張感や、嘘が許容される特殊な空間は、高校生の頃の私には非常に目新しく、そして魅力的に映りました。知り合い同士でありながらも、拙いウソがばれないかドキドキしつつ、顔に出ないように感情を押し殺していたことを覚えています。

次に、一体感は、対面人狼だからこそ得られた要素かもしれません。当時は、デジタルゲームばかりやっていたため、このようにトークが主体になるようなゲームは、ほとんど行っていませんでした。人狼ゲームの特性として、夜の時間は言葉を発さず、昼の時間は活発に議論を行います。私は、この特性は、非常に人狼ゲームとしての雰囲気づくりに寄与していると思います。別に大きなことをしていたというわけではありませんが、皆で何かを共同で行うことは非常に一体感があり、その雰囲気を楽しんでいました。

このような非日常感や一体感は、もちろん、現在において人狼ゲームを行う際にも得ることができます。しかしながら、その要素は少し薄れてしまっているように思われます。次章では、人狼を対面以外で行った経験について述べ、楽しみの変化について考えていきます




2. 人狼ゲームの楽しさの変化~初心者のるる鯖時代~

私は高校生の際に、”はじめてのじんろう”を体験し、仲間内で人狼をするだけではなく、ネットを介して人狼をやってみたいと考えました。当時は、現在のようなアプリ人狼はなく、私が行ったのは“るる鯖”というサイトのチャット人狼でした。このサイトは、私が人狼を本格的に始めるきっかけでもあり、そして、人狼ゲームを一時期嫌いになった原因にもなった場所でした。

るる鯖は、熟練度に合わせて部屋がつくられており、私は初心者歓迎部屋に入り浸っていました。当時は、恥ずかしながら、グレランやローラーといった人狼特有の用語や進行が一切分からず、すぐに処刑されてしまうことが多くありました。また、寡黙吊りという文化を覚えたのもこの”るる鯖”でした。ここでは、ほとんどの部屋が9人以上で構成され、初心者歓迎と書いてあるにもかかわらず、大体の方が、何をすべきかを理解しているように見えました。そのため、自分も少しずつ学ぶようになり、初心者として人狼を楽しむことができるようになりました。

私は、この時点で人狼ゲームに対する印象が変わりました。というのは、今までの「雰囲気を楽しむゲーム」ではなく、「決められた進行のもとで発言をもとに戦うゲーム」として認識するようになりました。始めた頃に感じていた非日常感はあるものの、人狼ゲームには決められた手順があることを知り、この要素はほとんど感じなくなってしまいました。一体感としては、顔を実際に合わせる対面人狼ではないことからあまり感じず、こちらもゲーム中に感じることはほとんどなくなりました。

しかし、新しく加わった楽しさもあります。それは、考察を行うことと、信用獲得を目指すことです。決められた方針があることにより、考える余地は非常に増えることとなります。誰が人狼であるかを、他のプレイヤーの発言から推理することが非常に楽しく感じるようになりました。また、自分の考察を論理的に発言することによって、信用を獲得することも人狼ゲームの魅力だと感じるようになりました。

ただ、るる鯖の後期を最後に、私は人狼を1時期休止することとなりました。というのも、ある村で、考察や推理が外れてしまったことを、ある個人に執拗に叩かれてしまったためです。今思えば、どうしてあんなことで傷ついてしまったのかわかりません。しかし、振り返ってみると、楽しさの中心であった考察や信用獲得といった要素が否定されてしまったことで、人狼の魅力を感じなくなってしまったのかもしれません。この後、大学院に入り、対面人狼をはじめるまで、私は人狼からは離れてしまいました。




3.人狼ゲームの楽しさの変化~中級者の対面人狼時代~

私が人狼を始めるきっかけとなったのは、あるボードゲームカフェの人狼イベントでした。人狼から長く離れてしまっていたため、参加には非常に勇気がいりましたが、結果としてこのイベントが自分の人狼人生を再びスタートさせる機会となりました。当ボードゲームカフェのレベルとしては、中程度だと考えられます。その時の人数にもよりますが、基本的には人狼ゲームの体をなし、真剣に議論は行われます。その一方で、あまりギスギスすることはなく、戦犯探しよりも活躍したプレイヤーを探すようなイベントとなっていました。

このイベントに触れ、私は人狼の楽しさを再び思い出すことができました。ここで思い出した楽しさは、人狼を始めた時に感じていた非日常感と一体感。これらの要素に加えて、るる鯖時代に感じていた考察と信頼獲得をする楽しさも蘇ってきました。これらは、互いが互いを過剰に責めないような雰囲気の下で、真剣に人狼を行うことができることから生じたと考えられます。私は、>高校時代における対面人狼で感じていた楽しさと、るる鯖でのチャット人狼で感じていた楽しさの双方を、同時に味わうことができるとは考えてはいませんでした。

このように、私にとって当ボードゲームカフェにおける人狼体験は衝撃的なものであり、現在もこの人狼イベントを中心に人狼ゲームを楽しむ大きな契機となりました。さらに、人狼に対するモチベーションも上がり、人狼ジャッジメントや人狼殺など、人狼アプリにも幅広く触れることにもつながりました。もちろん、人狼に触れる時間が増えるにつれて、段々と人狼ゲームに関する知識や思考方法も明らかになり、少しずつ上達することになります



しかしながら、ここで私に大きな思考の変化が生じたことに気づきます。それは、道理とは異なる行動を取ったり、正しくない進行を取るプレイヤーに対して、憤りや悲しみに似た感情を抱くようになったことです。これは、今まで自分になかった思いでした。これは、チャット人狼で感じていた思いでしたが、次第に対面人狼でも部分的に感じ始めることとなりました。この感情が自ら出てきたことに気づいたとき、非常に悲しみを覚えました。というのは、”るる鯖時代”に自分を執拗に叩いてきたプレイヤーのことを思い出したからです。私が、この変化に気づかずに、このままこの負の感情を放置してしまえば、私もそのプレイヤーと同じ側の人間に立ってしまうところでした。

これは、中級者になり、思考や基本的な考え方の枠組みを覚えてしまった弊害であるようにも思われます。確率的に正しい考え方や、いわゆる村利のある行動を知ってしまうと、それを行わないプレイヤーが異分子であるように見えてしまうのです。何かを知るという行為には、このような要素は常についてまわるように思われます。冒頭で述べた、人気配信者のコメントでありがちな過激な批判も、このような思考の変化により生じたものであると考えられます。

私は、このような問題に際して、自分の人狼のプレイスタイルや求めるものを考え直すこととなりました。やみくもに、ただ勝つことだけを追い求めてしまえば、許せなくなることが多くなり、楽しみが減ってしまうと考えたからです。そこで、目標となるようなプレイヤーを想定し、その人のプレイスタイルに少しでも近づけることを目指しています。例えば、私の目標は、人狼実況者でもある羊飼いKさんです。心理的視点からの考察や、独特の柔らかい話し方を有するプレイヤーであり、何より人狼を心から楽しんでいることが、そのプレイスタイルから伝わってくる方です。

自分が人狼に何を求めているかを忘れてしまえば、人狼の楽しさの喪失に繋がることもあります。私は現在、人狼が上手くなることよりも、人狼を楽しむことを第一に考えています。そのために、自分が人狼でどのようなことを味わいたいのか、何が自分の楽しさであるのかを、振り返ってみるとよいかもしれません。




4. おわりに~自分にとっての人狼の楽しみ方を見つけること~

この記事を通して考えたいのは、自分にとっての人狼がどのようなものであり、それを通じてどのような楽しさを得ることができるのかという点です。もし、人狼を競技やスポーツのように楽しみ、徹底的に考察や推理を楽しみたいという方であれば、それも正解であると思います。幸いにも、人狼のプレイ人口はアプリを通じて増加し、人狼をいわゆる”ガチ”で楽しむ方も少なくありません。そのため、そのようなプレイヤーに向けた場所は存在しています。

しかし、もし人狼をよりカジュアルに楽しみたいのであれば、同じような目標を有したプレイヤーとともに人狼ゲームを行うことをオススメします。人狼をプレイする人数が増加することにより、様々な層が現れてきました。そのため、自分と同じような意思を有するプレイヤーも現れるはずです。

何より重要なのは、自分が人狼を通じて楽しむことができるかどうかです。もし、人狼ゲームをしているうちに、イライラや悲しみの感情が強くなった時は、1度自分が人狼に何を求めているか考えてみてもよいかもしれません。

この記事を通じて、皆様の人狼ライフがより良いものとなれば幸いです。


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