【人狼エッセイ7月号】人狼において大事なのは”過程”?”結果”?

更新日 2019年10月10日

はじめに~人狼で大事なものって何?~

こんにちは、いとはきです。皆さまは、人狼ゲームを楽しんでいますでしょうか?

人狼ゲームをしていると、ゲーム自体に勝ったのはいいけれど、どこかやりきれないという試合があります。一方で、ゲーム自体は敗北したが、非常に記憶に残っている試合もあります。このような経験から、ゲーム自体の結果とそこに行く着くまでの過程について、少し考えるようになりました。

「人狼ゲームで大事なのは過程か、結果か。」という議論は、今まで多くの方々と行ってきていますが、いまだに私の中で正解はありません。まずは、私の意見を述べることから始めたいと思います。

私は、「人狼ゲームが人狼ゲームとして成立しない場合を除き、結果が全てである。」と考えています。しかしながら、「やはり人狼をしていて楽しいのは過程である」とも考えています。そもそも、「人狼において過程と結果を切り離すことはできないのでは?」という疑問も生じています。

様々な考え方はあるかと思いますが、人狼における「過程と結果」について考える契機となることを、心から願っています。上記では、三つの異なる意見を書きましたが、それぞれ私がそう考える論拠について述べていきます。下記のそれぞれの章では、異なる観点から意見を書いているため、多少の矛盾が生じてしまう可能性をご容赦ください。




1.人狼ゲームにおいて重要なのは「結果」である

人狼ゲームは、それぞれの陣営が勝利を目指すことで成立するゲームです。仮に、自陣営の勝利を目指さずに、それぞれが個人的な理由から、敵陣営に利するような行為をした場合には、ゲームのバランスが崩れてしまいます。そのため、自陣営の勝利という「結果」をそれぞれが目指すからこそ、人狼ゲームがあると考えることができるかと思います。そのため、「結果」は人狼において重要な要素であると考えられます。

しかし、1部の例外は存在します。それは、人狼ゲームが人狼ゲームとして成立しない場合です。具体的には、離脱と荒らしの二つがあげられます。前者の離脱とは、人狼ゲームに参加しているプレイヤーが、何らかの理由によりいなくなってしまうことがあげられます。離脱が生じると、ゲームの重要な要素である役職がいなくなってしまったり、役職がいなくなってしまった可能性を考察に含める必要が生じてきます。そうなれば、ゲームのバランスは大きく崩れてしまいます。

一方、後者の荒らしとは、ゲームが進行している村を、悪意によって壊すことを目的としたプレイヤーを指します。この荒らしは、自陣営の利益を度外視し、ゲームの成立を阻止するように行動します。このことから、荒らしの存在は、ゲームのバランスを大きく崩すことに繋がります。

このような、上記に述べたような異常な状況を除いて、各プレイヤーはそれぞれの属する陣営の勝利を目指します。勝利を目指すということは、勝利という結果を望むことであり、ゲームの成立要件として成り立ちます。このような理由から、人狼ゲームにおいて重要なのは、「結果」であると考えることができます。




2.人狼ゲームにおいて重要なのは「過程」である

『「結果」がよければ、すべてよし』でしょうか。人狼の楽しさについて以前他の記事で議論しましたが、人狼が楽しいと感じる要素は、人狼のゲーム設計にあると考えられます。議論を通じて人の発言を精査し、その中で考察や推理をしていくことが、人狼の主たるデザインとなっています。このような「過程」なしに「結果」を求めるのであれば、それは「人狼ゲームではない何か」になってしまうのではないでしょうか。つまり、「結果」に向かうまでの「過程」にこそ醍醐味があると考えられます。

もちろん、自陣営の勝利という「結果」を求めない限り人狼ゲームは成り立ちません。しかし、個人的には「結果」を求めたとしても、楽しさを感じる要素は「過程」にあるのではないかと思われます。私は、考える過程が見当はずれのもので、逆の逆がたまたま当たって勝利した試合には、どこか消化不良になりそれほど価値を感じません。これに対して、考えに考えた結果、勝利できた試合はいつまでも記憶に残る傾向にあります。このことから、同じ1つの勝利であれど、その主観的な価値は異なると個人的に考えており、その価値を変容させるのは「過程」によるものではないかと考えています。したがって、「過程」は非常に重要な要素であると結論付けられます。


3.人狼ゲームにおいて「過程」と「結果」はともに重要である

これが、私の個人的な意見に近いものですが、「過程」と「結果」を分けて考えることはできず、ゆえに双方ともに重要であるという考えです。ゲームを成立させるための前提が自陣営の勝利という「結果」を求めることであるのであれば、「過程」はその中身にあたると考えています。

雑な例えになってしまうかもしれませんが、僕は人狼は”移動”ではなく”旅”だと思っています。例えば、東京が出発地、大阪が到着地とする楽しい旅を計画するとしましょう。ここでの最終的な「結果」は、大阪に到着することです。そのため、東京から大阪に新幹線で向かえば、「結果」は達成することができるかもしれません。しかし、これでは単なる移動です。一方、旅とは、東京から大阪へ進路を間違えないようにしつつ、ときにはその場所に滞在して道を確認する。そうしてみんなで話しあう「過程」を経て、目的地に向かうことだと考えています。単に「結果」を目指すだけでは、旅ではなく移動になってしまうことから、旅には「過程」が必要だと考えています。

人狼も同様に、「結果」を求めることは大事ですが、その「過程」がなければ、人狼の醍醐味を味わうことはできません。このことから、「過程」と「結果」はともに分けることはできず、どちらも重要と考えることができるのではないかと考えられます。




おわりに~「どちらが重要か?」の答えはない~

ここまで議論してきましたが、この中でどれが正しいという明確な答えはありませんし、答えを結論づけるべきではないと考えています。ただ、「結果」と「過程」のどちらかが正しいというこだわりを持っている人もいます。このような異なる主義のプレイヤーが同じ村を囲んだ場合、ときたまトラブルになることがあります。しかし、どちらが正しいということはないため、永遠に平行線上で互いを批判し合うことになるかもしれません。この際には、様々な考え方を有する人がいるということを理解することが重要です。

今回は「過程」と「結果」のどちらが重要かという論点について考えてみました。改めて人狼ゲームの本質について考える機会となれば幸いです。

今回の記事が皆様の人狼ライフをより良くするものとなれば嬉しいです。


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