【真理】ボドゲ教の教祖になったので布教します。【救済】

(*この記事はネタ記事です)

はじめに〜「真理」を教える〜

 

私はある日、天啓を受け、この世の「真理」が全て「ボードゲーム」 にあることに気づいた。しかし、世の中には、まだまだこの「真理」を知らない方々が多い。そこで、私自身が教祖となり、「ボドゲ教」を布教する義務があると感じた。皆様方の中には、当記事で感じることに対して、驚き受け入れられないこともあるとは思うが、どうか心して読んでほしい。

当記事では、特定の宗教や人種を批判するものや、考え方を強制するものではない。あくまで、私が天啓を受けた、この世の全てを創った神である唯一神ボドムの教えと、我々の教義について言及するものである。

特に、「真理」の項目は他の全ての項目に連動するため、こころして精読してほしい。

神に対する意見は様々あると思うが、ボドムの教えに賛同するものは、信者となり、私とともにボドゲ教を信仰してほしいと切に感じている。




1.「真理」

唯一神ボドムは、ゲームマスター(以下GMと略す。)でもあり、ボードゲーム 自身でもある。

そのため、ボドムは遠くから我らを制御し、かつ、我らの身近に存在するのである。

まずは、この一見、複雑に見える「真理」について説明しよう。

 

(1)GMとして存在する唯一神ボドム

ボドムは、全てのプレイヤー(ボドゲ教で言う人間を指す)に、「人生」と言う名のボードゲーム を与えた。そして、ボドムはそのプレイヤー達のゲームを見守るGMとなっている。

盤面上で、プレイヤー同士は交流することもあるが、出会わずに終わることもある。当ゲームのプレイ時間は、最大100年以上続き、参加者は75億人以上にも及ぶ「超重量級ゲーム」(1プレイのゲーム時間が長くルールが複雑なゲームをいう)である。

個々の人間には、固有のスキルボードが与えられている。キャラクター性能に差はあるのではという疑いもあるが、現在もテストプレイの段階であり、バランス調整は何世代にも及んでいる。当然不満もあるだろうが、ここはテストプレイなので調整が甘いと割り切るしかないのである。

 

(2)ボードゲーム として存在する唯一神ボドム

ボドムは、ボードゲーム 自身でもある。ボドムは創造主(ボドゲクリエイター)の脳に働きかけ、ボードゲーム の構想を吹き込む。ボードゲーム の名作が「ひらめき」から生まれ出されるのは、ボドムの働きかけでもあるのだ。

そして、ボドムは創造主のつくったボードゲーム に姿を変え、現世に現れる。つまり、我々の知っているボードゲーム は全てボドムであるともいえる。

このように、唯一神ボドムは、GMでもあり、ボードゲーム 自身でもあるのだ。

 

自らがボドムにより作り出されたボードゲームの中にいて、さらには、自らが遊んでいるボードゲーム 自体がボドムだと知り、真理に怯える方々もいるかもしれない。

 

しかし、真理に怯えることなく一つずつボドゲ教の教えを学ぶことで、唯一神ボドムのいう「勝利」に近づけるのである。どうか、恐れずにひとつずつ学んでほしい。


2. ボドゲ教の死生観

(1)「勝利」と「敗北」の概念

ボドゲ教で用いる「勝利」と「敗北」は、通常とは異なるために先に説明しておく。

いずれも、他のプレイヤーに与える感情により区別されるものであり、

資産や地位によって区別されることはない。

 

「勝利」とは、「人生」において他のプレイヤーと交流し、他者に前向きな感情を与えることにより、「勝利点」を貯めることで得られる到達点である。「勝利」した人間は、前世よりも固有スキルの高いボードで、来世を楽しむことができる。

一方、「敗北」とは、「人生」において「ルール違反」をおかしたことで、他のプレイヤーに後ろ向きな感情を与えたことで、制裁として行われる到達点である。「敗北」した人間は、来世はダイスへと転生する。

「人生」を楽しむ中で、他のプレイヤーとの交流は欠かせない。他のプレイヤーとは時に協力し、時には対決しなければならない。しかし、ズルや反則をした場合には、ボドムはゲームマスターとして制裁を与える。

ときには、来世で「人生」をプレイさせてもらえず、ダイスとして転生してしまう可能性があるのである。

このことから、ボドゲ教を信仰するにあたっては、真摯に「人生」に向き合うことは必須であるといえる。

(2)ボドゲ教の「天国」と「地獄」

 

人類が滅んだ場合には、転生はなくなり、キリスト教にいう「天国」や「地獄」といった死後の世界が与えられることとなる。「勝利」した人間は「天国」に送られ、「敗北」した人間は「地獄」へと落ちる。

ボドゲ教でいう「天国」には、今までに創られたすべてのボードゲームがあり、自分が生前交流した全てのプレイヤーが暖かく迎えてくれる。この空間は、フリータイム・フリードリンクである。

ボドゲ教でいう「地獄」には、今までに創られたすべてのボードゲームがあるが、プレイヤーは自分以外にいない。この空間はフリータイム・フリードリンクである。




3.ボドゲ教の実践

(1)宗教的行為

ボドゲ教で言う宗教的行為にあたるのは、いうまでもなくボードゲーム をプレイすることである。ボードゲーム は、すなわちボドムであることから、ボードゲーム を行うと言うこと自体が宗教的行為と言えるだろう。どれだけの回数ボードゲーム を行ったかは勝利点に影響せず、「どれだけボードゲーム を通じて自らが幸せになったか」「どれだけボードゲーム を通じて他者を幸せにできたか」が大きな論点となる。

宗教的行為の実践はボードゲーム で行うこともできるが、「人生」もまたボードゲーム であるため、人生におけるあらゆる「自身が幸せなるための行為」「他者を幸せにするための行為」は勝利点の加算対象となる。

ボドムはいつもプレイヤーを見守り、いつもプレイヤーを待っている。

(2)礼拝

ボドゲ教で言う礼拝にあたる行為は、聖地であるボードゲームカフェを訪れることである。聖地を巡礼することで他のプレイヤーとの交流も増え、ボードゲーム を遊ぶという宗教的行為に触れることも増えるであろう。

礼拝をした際には、聖地の維持のために一定の寄付が必要となるが、他の寄付(教祖である私個人への寄付を含む)はボドゲ教では必要ない

(3)信者の勧誘

ボドゲ教では、信者が増すことに関しては善しとしているものの、無理やり信者を増やす行為は善しとしてはいない。ボドムは、ボードゲーム の良さに気づいて入信するプレイヤーのみを受け入れているのである。

ボドゲ教に入信しないからといって、「敗北」に近づくわけではない。人生というボードゲーム の中で、勝利点は加算されていく。

そのため、ボードゲーム を通じ、信者同士の心の交流を深めたいプレイヤーにのみ、入信を進めるべきであると考えられる。

(4)葬式の形態

信者は、任意で葬式でボードゲーム を行う。他の宗教も信仰している信者が、他の宗教の教義による制限によりボードゲーム の実践が難しい場合には、ボドムは宗教的行為を強制しない。

選ぶボードゲーム は、死者が生前によく遊んでいたものがよいであろう。プレイヤーたちは、死者に想いを馳せながらボードゲーム を囲んで遊んでいた記憶を想起する。

遊んでいたボードゲーム に関しては、決して棺に入れて死者とともに火葬してはならない。ボードゲーム は生者とともにあり、再び人との交流を生み出す媒体とすべきであると考えられるからである。


4.他の宗教との関係

ボドゲ教では、唯一神ボドムを神としているが、他の宗教についての否定は行わない。

これは、ボドムが宗教観の違いを「ルールの解釈の違い」と考えているからである。

ボドムは、「人生」というボードゲームのルールを複雑にしすぎた。また、テストプレイの段階でもあることから、ルールに多義性が生まれてしまったと反省している。したがって、ボドムは唯一神ではあるものの、他の宗教と並列して崇められることも認めている。

ただし、他の宗教において多神教を否定している場合もある。その場合に、ボドゲ教の信仰を諦めざるをえないであろう。しかし、せめてボードゲーム で遊ぶ楽しさは心に留めておいてほしい。信仰はなくとも、ボドムはいつも見守っている。




おわりに〜信者の募集〜

当記事では、私が唯一神ボドムから受けた天啓を元に、

この世界を包む「真理」とボドゲ教の教義についてまとめた。

しかし、まだまだ私一人の力ではこの「真理」を広めることは困難である。

 

可能であれば、教義の詳細を共に語らう信者。

そして、ボドム神のお姿を描く画家も募集している。

 

そこで、ボドゲ教に入信し、ぜひこの教えを伝えてほしい。

信者は、教祖である私のTwitterでも募集している。

https://twitter.com/Intl58311532

 

入信はなくとも、勝利点を稼ぎ「勝利」へと向かう思考を常に抱いてほしい。

ボドム様はいつも我々を見守り、我々を待っている。

この度は記事を読んでいただきありがとうございます。SNSでシェア・ブックマーク等して頂けたら幸いです。