定番!モノポリーの知られざる真実

更新日 2023年2月27日

世界中でプレイされているボードゲームであるモノポリー。

 

モノポリーを発明した人物は一般的にチャールズ・B・ダロウとして知られています。しかし、実際にはゲームを考案した人物はエリザベス・マギーであり、ゲームの特許を巡って裁判も起こされていたのです。

 

この記事ではモノポリーがどのように考案されたのか、なぜ発明者がチャールズ・B・ダロウとして知られているかなど、モノポリーの裏側について解説しています。

 

 

ダロウとモノポリーの出会い

 

1932年末のある夜のこと。フィラデルフィアの実業家チャールズ・トッドとその妻であるオリーブは、友人のチャールズ・B・ダロウとエスター・ダロウを家に招き、不動産ボードゲームで遊ぶことにしました。これがモノポリーのゲームの原点であり、ダロウがゲームを知るきっかけとなりました。

 

チャールズはダロウ夫妻がこのゲームを気に入っていたことから、2人のためにゲームを作り、さらに新たなルールも追加しました。

 

このゲームは特に名前は付けられませんでしたが、ダロウ夫妻から友人、その友人からさらに他の友人というようにどんどん広まっていきました。その中で、ゲームは「モノポリー」と呼ばれるようになったのです。

 

この時、ダロウには仕事がなく、お金に苦労してきました。そこで、ダロウはトッドにルールを紙に書くようにお願いし、それをパーカー・ブラザーズに売却。ゲームは驚異的な成功を収め、ダロウは最終的に数百万ドルを稼いだのです。

 

パーカー・ブラザーズにゲームを売り込んだ人物がダロウだったため、ゲームの発案者もダロウだと認識されるようになりました。

 

しかし、実はこのゲームのルールは、1903年にワシントンDCで、エリザベス・マギーという女性によって考案されたものでした。この事実は公になっておらず、何十年もの間、ダロウが考案したゲームだと思われていたのです。

 

 

マギーはどのようにモノポリーを作ったのか

 

マギーがモノポリーを考え出したのは1900年代初頭のことでした。この時の社会は独占企業が力を持ち、所得格差は大きく、多くの市民が不満を持っていました。速記者として働いていたマギーは、そんな世の中を少しでも改善するために、政治的見解を反映させたゲームを考えようと思ったのです。マギーは仕事が終わると、毎晩どのようなゲームを作れるかを試行錯誤していました。

この頃、中流階級の家庭にはボードゲームが普及しつつあり、これらは単なる娯楽としてだけではなく、コミュニケーションの手段としても機能していました。マギーはここに目をつけたのです。また、マギーは当時では珍しく未婚であり、熱心に仕事に取り組んでいました。そして、彼女は家族の大黒柱として貯金をし、自宅と数エーカーの土地を購入していたのです。

 

このことが影響し、彼女は「Landlord’s Game(地主ゲーム)」を考え出しました。彼女はこのゲームについて、「土地の奪い合い、そしてその結果を表現したもの」であると説明しました。つまり、現実世界での成功と失敗をゲームの世界で再現したのです。

 

このゲームには、現実と同じように現金や証書、不動産が登場します。そして、銀行もしくは他のプレイヤーからお金を借りることができ、税金を払わなければいけないというルールもありました。

 

また、ゲームにはマギーが尊敬していた経済学者ヘンリー・ジョージへのオマージュが描かれていたのが特徴です。マギーは、何年もかけてゲームを作り直し、1903年3月23日に米国特許庁に出願。「地主ゲーム」の法的権利を獲得しました。そして2年後、マギーが共同経営者を務めるニューヨークの会社、エコノミックゲーム社から、このゲームを出版しました。このゲームは、知識人や大学キャンパスで人気を博し、アトランティックシティのクエーカー教徒のコミュニティで流行するようになります。そして、やがてダロウの手に渡ったのです。

 

 

マギーの反論

 

1930年代半ばにゲームが流行り始めると、パーカー・ブラザーズはマーケットを独占するために、他の類似ゲームの権利を買い取りました。この際、マギーの「地主ゲーム」も500ドルで買い取られたと伝えられています。この際、リジーは買収の目的を理解しておらず、喜びを見せていました。

 

しかし、その後自分のアイディアが盗まれたことに気がつくと、彼女は怒り、ワシントン・ポスト紙とワシントン・イブニング・スター紙のインタビューに答え、モノポリーが自分のアイディアであることを証明しました。

 

しかし、イブニング・スター紙の記者はゲームの成功はマギーのアイディアによるものではなく、ダロウの改良によるものだとし、マギーの主張を完全に否定しました。

 

そのため、「地主ゲーム」はダロウが開発したゲームであるという認識は覆されることがなく、マギーの名前は世に知られることはなかったのです、その後、ゲームの権利を巡って裁判も起こされましたが、マギーの権利が認められることはありませんでした。

 

パーカー・ブラザーズ社を傘下に持つハスブロ社は、「ハスブロ社は、今日生産されプレイされている公式モノポリーゲームを、チャールズ・ダロウの功績としています。」とコメントしており、ハスブロ社のウェブサイトでも、モノポリーは1935年に発明されたと明記されています。

 

このようにハスブロ社がマギーの主張を一切否定することにより、今でもモノポリーの発明者はダロウだとされているのです。

現在では、モノポリーはボードゲームとしてだけでなく、テレビゲームやスロット、オンラインカジノの題材にされるなど多方面で、そして世界中で人気となっており、知らない人はいないゲームと言っても良いでしょう。上で紹介したようなモノポリーの知られざる真実を知っておくと、いつかモノポリー関連のゲームに触れた際は、これまでとはまた少し違った気持ちでゲームが楽しめるかもしれませんね。

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